変わっていくこと

 

私がおにゅさんを好きになってからの3年ぐらいの間に「人ってこんなに変わるんだな」と何回も思った。

追っている時間が少ないのだからおにゅさんの何を知ってるのだ?と言われそうだけど私が知ってからの間だけでもどんどんと言うことや行動や姿が変わっていったように思う。

いつもそのことについて「どんな考えや影響で変わっていってるんだろう」と思っていた。

長い時間見てきたファンの方たちのおにゅさんの変化を語るツイートを読んで「そんなに変わったんだ」と思うことも何回もあった。

 

 

 

私がおにゅさんを好きになったのはAtlantisの活動が終わったぐらいの時だったから、好きになったとたんにシャイニーとしてのおにゅさんを見る機会がなくなってしまい、それゆえ過去の映像をこれでもかこれでもかと見た。そして過去の映像のおにゅさんと今のおにゅさんから受ける印象の違いを謎に思いながらその部分さえも「振れ幅が広い」「ギャップがある」として惹かれていった。いろんな顔、いろんな姿を見せてくれるおにゅさんを「いったいこの人はどんな人なんだろう」と知りたくてたまらなくなった。おにゅさんって何を考えてるんだろうとずっと考えてた。

 

 

 

そして去年、お休みが発表された時に「ああ、おにゅさんも自分を探してたんだな」と思った。「だから私になんかにわかるわけない」とも思った。そしておにゅさんの心の中をいろいろと憶測してしまっていたことを詫びて反省した。

 

 

 

過去から今に至るおにゅさんの何種類もの印象の違いは、おにゅさんがその時その時に見つけた立ち方でそこに立っていたってことなんだ。シャイニーのオニュとして立ち続けるための変化だったんだと思った。

なりたい自分、進んでいくこと、目指すもの、がキャリアを重ねて変わっていくのは当然だろうし、経験や自信によっておにゅさんが纏う雰囲気が変わっていったことも要因のひとつだろう。また、その時に自分に課されたもの、大切にしたいもの、環境や希望や体調や苦しみなどによって、変わっていかないとオニュとして立っていられないこともあったのかな、前にインタビューで「服務中、自分のことを考える時間が増えて、自分ってこんな人だったかもしれないと考えるようになった」って言ってたよな、常に考えて自分を探してきたのかもな、とも思う。考えて探してそれでやってみて、を繰り返して生きてきたのかもしれないと思うとしんどさの方を覚えてしまうけど本当のことはわからないから、それが心配するようなことだと勝手に判断しないようにしている。心配される人、として彼を捉えたくないんだ。

そう考えるようになりおにゅさんはこれからもどんどんと変わっていくんだろうなと思っていたから、bubbleがパタッと来なくなったのも、またオニュさんの中で変化が起こっているのかな?とぼんやり考えたりしてた。(外的な要因も大いにあると思うけど)

 

 

もし苦しみが生んだ変化なら早くその苦しみを取り除いてほしいと思うし、希望を見つけての変化なら恐れず進んでいってほしい。

bubbleをやめるというのは少なからずおにゅさんの意思が反映されてのことなのだろうから、おにゅさんが変わることを選んだんだと思うと、もしこれがさみしい未来につながる過程なのだとしても、なんだか少し晴れ晴れしい気持ちになるのが不思議だ。おにゅさんのしたいようにする一歩だと感じるからかもしれない。健康状態が理由なのだとしたらそれは心配になるけれど、それなら余計にやめるのはいいことだと思う。

 

 

 

みんな幸せになってね、自分も幸せになるよ、みんなで幸せになろうね、と絶えず口にしていたあの時期はおにゅさんが見つけたその時の自分の在り方だったのかな。その在り方にどんな意味があったのかはわからないけどいつもおにゅさんの言葉に嘘はなかった。と思う。その言葉たちからもらった愛情や安らぎ、bubbleで送ってくれたすべての言葉、写真、歌、つぶやきを宝物としてとっとくね。ありがとう。

 

 

 

bubbleを読み返してるとこんなに優しくてあたたかくて心のきれいな人はいない!と涙が出てきそうになる。でもそれはおにゅさんの言葉がbubbleにのってやって来ない寂しさというよりは、こんな愛しい人はいない!というものなので泣くのはこらえる。おにゅさん大好きです。よし。とりあえずbubble内で日付検索できないか調べよ。スクロールしすぎて指紋なくなりそう。