🐈

 

 

おたくの話ではないです。

 

 

先日、同僚が亡くなった。長い闘病の末、最期はご家族に見守られながら静かに息を引き取ったと知人から聞いた。

私と彼女とのつきあいはこの組織に入った時からなので20年ぐらい。改めて年数を数えるとびっくりする。

私と同じ歳かひとつ年下だった彼女は(覚えてなくてごめん。私はだいたい人の歳とか誕生日が覚えられない)私より2年先に入った先輩で、歌が上手くておもしろくて優しくてちょっと変わっている美人だったからすぐに認識した。(私は人の顔や名前も覚えられない)もちろん仕事も良くできる人だったし。

先輩だからいろんなことを教えてくれたけど、私たちの職場は年次かかわらずフラットなやり取りが推奨されるようなところでもあったので、あまり時間がかかることなく友だちのような関係になった。甘え上手な人で私にもよく甘えてきたけど、同時に困っている人を放っておけない性格の人でもあったので、よくご飯を食べさせてもらった。私が適当なものしか食べてないのを見て、お弁当を作ってくれたりもした。料理も上手くて何を作ってもセンスが良くて美味しかった。

とても気遣いをする人で、度が過ぎてちょっと独特な表現になったりするところが彼女のチャーミングさを際立たせていた。少し枠からはみ出てしまうようなところも彼女の魅力であり、彼女不在の場でもよく話題に上がった。とても愛されてた。でも、本人はそういったことで苦労もしてきたようで、誤解されることも多かったからか落ち込んでる姿も幾度となく見てきた。正直で素直な人だった。

なぜか彼女の人生の節目節目で一緒に仕事をすることが多かったので、いろんなポイントでの選択を間近に見てきた。一番思い出深いのは、彼女の海外での挙式&新婚旅行に仕事上数日間帯同した時のこと。その中で、両家がお酒を飲みすぎて大変なことになっちゃったイベントの一部始終を、嘆きながら笑いながら話してくれたことがあった。ホテルの部屋の窓際に座る彼女の、逆光に浮かぶシルエットの美しさと、幸せと楽しさと少しの悲しさが入り混ったような複雑な表情をよく覚えている。

また、自分で決めたことは周りが反対してもやり切る強い人だった。一つ一つの選択に彼女のアイデンティティが詰め込まれていて、どんなことでも最終的にはみんなが応援していた。

 

 

彼女が病気になってからは一緒の仕事をすることがなく、直接会う機会が少なくなった。それでも会って体調の話をした時はそれまでとそんなに変わりないように見えたし、適した治療法に出会えたとも言っていたから良くなっていくんだろうと勝手に思っていた。それが2年ぐらい前の話。

それから少しして、治療のために引っ越すらしいと別の同僚から聞いた時には、もう多くの人がそのことを知っている状況だった。本当はそこで彼女に連絡がしたかった。何ができるわけではないけど、あなたの身体のことを願っていると伝えたかった。けど、多くの友人を持つ彼女の元にはそういった連絡がいくつもいっているだろうなと想像し、そして普段用事がなければそんなに頻繁に連絡をとりあう仲ではないのに、病気のことを知った途端「心配してるよ」と連絡することは私のただのエゴではないかと思えてできなかった。

あと、今考えてみると、連絡をして自ずと心配する人と心配される人、という関係を生むのも怖かったんだと思う。病人としての振る舞いを求めることになる気がした。そして、相手の好意を大切にする人だから必要以上にその役割を演じちゃいそうで、そうさせるのもいやだった。

それから、少しづつ少しづつ進んで行く病状のことを周りの人から聞くたび、何度もLINEをしようかと悩んだ。けど、何かを伝える方が彼女にとって負担になるような気がしたし、余命という言葉を聞いてからはその迷いもなくなった。残る時間に限りがあるなら、優先されるべき人やものや事がいっぱいあるだろうから。だから結局私は連絡をしなかった。

でも、ここまでいろんな理由を並べてきたけど、それは私に受け止める勇気がなかったということだけなのかもしれない。覚悟がなかったんだ。

 

 

 

そして、やっぱりいなくなってしまった。本人の希望で式もしないとのこと。

もう会えない。

病気の辛さや怖さを分かち合うことはできなかったけど、そういったやり取りをしなかった私はこれからもずっと楽しいことを思いだそう。それなら自分にもできる。普段ならすぐに忘れちゃうことだって、あなたのことを考えてると記憶が蘇ってくるから不思議。ほんと、楽しかったこといっぱいあるもんね。話は尽きないよ。

弔いっていう言葉もまだピンとこないけど、何もせずにはいられず、ここに彼女のことを書いてみた。少しの間、置いておこうと思う。

 

 

 

駆け込み書き込み

 

 

おにゅさんの新譜がでますね~。たのしみですね~。

 

前回ブログを書いてから、日本アルバムのリリースや武道館があったりして、思っていることや書きたいことはいろいろあったけど、なんだか生活がずっとバタバタしていて流れるように今日までたどり着いたかんじ。はー。人生っていろいろあるね。

 


武道館では運良く生涯初サウンドチェックに参加することもできたり、私がずっと考えている「どうして만세の最後におにゅさんはぐるぐるとまわるのか」という命題(おおげさ)の解を見た気になったり(すべて妄想)、とても良い時間だった。(このことも書きたいと思っていたけども…)


今までのライブではパフォーマンスそのものより、「おにゅさんという人」が大きく心に残ることが多かったけど、今回はおにゅさんの歌も踊りもおしゃべりも感情も状態も、観客の歓声も、会場の雰囲気も、それらをまるっと包んだ「ライブを楽しんだ体験、時間」だけが残ってなんだかとても感慨深かった。

どこが今までと違うんだろと考えてみたところ、今回の武道館のおにゅさんには迷いがなかった。ないように見えた。なんかおにゅさん「すこん!」と気持ちよくステージに立ってたなーと思い出す。「今、自分がやりたい&目指しているステージはこれ!」という力強さがあった。横浜オンドラから武道館オンドラまで積み重ねてきたおにゅさんの経験と自信が、実力と取捨選択、という形になってあのめっちゃ楽しかったライブ体験を作ってくれたんだと思う。おにゅさんすげえ。

最終日のWアンコール、最後の最後に力を振り絞った半ばやけくそ状態(すいません)だっただけかもしれないけど、歌をよく聴かせることや踊りをきれいに見せることや伝えたいことを伝えるためのパフォーマンスを放り出し(まあだって既に一度やってるからね)、個人的な情動に任せてステージの真ん中でブンブンと頭を振るおにゅさんがとても印象に残っている。周りを気にせず自分の喜びを自分のために発散させているような、あまり見たことないおにゅさんの能動感に驚き、いつだっておにゅさんには自由でいてほしいと思ってる私はそんなおにゅさんをもっともっと見たいと思った。

そして、「あー、もうおにゅさんのことをごにょごにょと考えなくなるだろうな。これからはこの楽しい時間を待ち遠しくしてればいいんだな」と思ったことを覚えている。

 

 

 

 

そしてその予想通りそこから今日まで、いろいろと忙しかったのもあり、ぼちぼちなおたく生活を送ってきた。以前より可処分時間、可処分所得が限られているというのもあって、「良いファンでいること」をやめたのだ。

あれもしたい、これも見たい、あれもほしい、ファンならあれをやるべきだ、やった方がいい、などなどを一旦置いた「持続可能」最優先スタイルをとることにした。熱心なファンの方からすると貢献度が低い!とお𠮟りを受けそうだけど、自分の欲のコントロールも含めて自分のできることをできる範囲でやっていくしか。。。なくてですね。。。

 

 

 

そして、今日、5枚目(!!)ミニアルバムリリースですよ。TOUGH LOVE  ほんと楽しみ。

私の「アルバムが楽しみ」は、もちろん歌や音を聴くこともそうだけど、「おにゅさんが今何を考えて何をしようとしてるのか」「これからどこに行こうとしてるのか」を知ることができるから、が大きな部分を占めているっぽい。結果もそうだけど過程の方を知りたい性質なのです。おたくはこわい。まあ、単純に「それがおにゅさんだ」と紐づけるのも危険だし気持ち悪いんだけどね。。。わかってる。。。

てか、どんなものだっていいんだよ!何か期待してるってのでもなく、良い悪いとか好き嫌いとかも関係なく、純粋にどんなものが出来上がってくるのかたのしみなんだ!(突然の自分へのキレ)

 

 

 

今まで私はメンバーのソロ活動から受けるもの?受け取るもの?を以下のように感じていた。

きーくん、みのめん = 毎日の生活にパワーを与えてくれる 

おにゅさん、てむちゃん = 日常とは違う場所へ連れて行ってくれる

 

SMの時のおにゅさんは叙情の人だったと思う。(今のおにゅさんが叙情的でないということではなくてね)哀しい歌も温かい歌もここではない別の世界を濃く創りだし、私はその手の届かない世界(おにゅさんも含めて)に心を掴まれていた。

今、おにゅさんは自分の実感を元にして、聴く人に手を差し伸べる歌を歌うことが多い。そしてその歌はおにゅさん自身にもむかっているように聴こえて、おにゅさんがどこかにある別の世界ではなく私たちと同じ場所で同じように生きているんだなあと感じる。おにゅさんの言葉はいつもあたたかく、歌になって私たちを励まし慰めてくれる。というか、そんなことを歌おうとしてくれるおにゅさんの優しさというか心配りというか心根の良さ、そして、そういったことが彼の創作の起点になっているということに「だからおにゅさんが好きなんだ」という気持ちを強くする。

TOUGH LOVEのリリース記事に出てきた「背負った運命」という文言に、「他責(自分にはどうしようもできないこと)と捉えることができるようになったのならいろいろなことが少しでも軽くなるのかなぁだったらいいなぁ…」と泣きそうになったりしてるけど、まあ、それも私の感傷的な妄想かな。

 

 

何回言っても言い足りないけど、おにゅさんの旅を見せてくれてありがとう。みんなの前で歌い続けてくれてありがとう。いつも力をもらっています。

 

 

18時まであと少し。

 

 

おにゅさんの現在地

 

 

 

『PERCENT』をずっと聴いていて、「この曲が好きだなあ」とか「ここのおにゅさんの声がかっこいいなあ」とかいろいろ思うけど、4日間聴いてきてまだ最初に出てくる感情は「こんなかっこいい&完成度の高い&すばらしいアルバムを創ったなんておにゅさんはすごい」というもの。どの曲を聴いても「はー、おにゅさんすごいよ…」といちいち感嘆してしまう...。

 

独立してまだ1年と少し。その間にミニも含めて3枚のアルバムを出すという創作意欲自体にも目をみはるけど、プロデュースも手掛けるようになった3作品目でこんなアルバムを創るなんて、おにゅさんの中に眠っていたアイデアと才能が奥から奥から次々に顔をだして、一気に芽を吹き、それが「ジャックと豆の木」の「豆の木」ばりのスピード&力強さでぐんぐんと伸びて雲を突き破り、未知の世界でいろんなものを手に入れるように(?)音楽的進化を遂げているってことだと思う。(かえってわかりにくくなる例え)

 

「おにゅさんらしい」のに「新しいおにゅさん」を聴くこともできて、トレンドもセンスも聴きやすさも親しみやすさもある。おにゅさんはこのアルバムで一目置かれるプロデューサーの地位を確立したんじゃないかと思う。(言いすぎ?)(いや言いすぎじゃない)

プロデューサーの自分が思い描いた曲に近づくよう、自分に歌唱の注文をし、それを実現させるために表現を試し努力し、そして新しい自分を見つけたりしながら作品ができていく。そんな繰り返しなのかなと思うと、いやー、大変だろうけど今とても楽しいだろうなあ。今回の大きなプロモーションを見てもおにゅさん&グリフィンさんの自信作だと思うし、実際名盤確定なので一人でも多くの人に聴いてほしい。

 

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『PERCENT』(アルバム全体)はカラッとしてるなと思う。湿度が低く、質量も軽いサウンド。夏にあうように作ってあるのもあるだろうし、SMとの音作りの違いもあるんだろうなと思うんだけど、それはなんか、今おにゅさんのいるところがカラッとしてるからなんじゃないかとも思ったりする。

以前、私にとっておにゅさんは「深く静かな海の底」や「樹々が生い茂る針葉樹林の中」にいるイメージの人だった。お休みしてる時に書いたブログにもそんなことを書いたし、去年6月横浜BUNTAIペンミで前から5列目どセンターの席(すごい近かった!)(うれしかった!)から見た「スツールに座っているおにゅさん」には引き込まれそうな静寂の美しさがあって、下のような森(参照イメージ写真あり)を連想したんだった。静かで暗くて穏やかなところに佇んでいる人。だから『Circle』MVの質感がおにゅさんにとても合ってると思ってた。

 

(イメージ写真・これだけ貼るとなんか怖いね)

 

でも『PERCENT』を聴いてると、今のおにゅさんは『Confidence』MVのロサンゼルスの突き抜けた空みたいな、見晴らしと風通しのよい場所にいるように感じる。明るくてどこへでも行けそうなところ。どこへでも飛べそうなところ。

MVに影響されすぎだよ、と思うけど(かなりね)(えへへ)、何かに覆われた中にいるような、先がはっきりしないとこにいるように見えていたおにゅさんは私にとって「どこにいるか、何を考えているかわからない人」で、その掴みどころのなさが魅力でもあったと思う。

けれど今は、アルバムやコンサートでおにゅさんの思いや表現したいことを知ることができる。『PERCENT』を聴いて一番最初に思ったことは、「おにゅさんは今そこにいるんだな」ということだった。おにゅさんの現在地を感じさせてくれるアルバム。とても清々しく健やかな場所。

 

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「どれも100%のものはない」というアルバムのテーマはとてもおにゅさんらしいと思う。特に曲のPERCENT(%)は音も歌詞もクセがあって好き。人も感情も「それだけ」では成り立ってない。いつだって、誰だって複雑だ。「悲しいという感情の中に懐かしさがあったり」とインタビューで語ってたけど、物事も想いもそれを構成するものは複数の要素や側面がある、ということだよね。自分の気持ちを見つめてそういった考えに辿りつき、「こう考えてみることがみんなにも何かの助けになるかと思って」と伝えてくれてるようでおにゅさんのこれまでと優しさに胸がぎゅっとなる。(papagoで翻訳しても難しいところ多いけど、このインタビューおもしろかった。)

 

 

今のおにゅさんの「自分の見せ方」にも同じようなものを感じたりする。

ファンがよく言うおにゅさんの「振り幅」は「そのギャップがどんな人かよめないミステリアスさ」としてみんなを「きゃー」と言わせてきたと思うけど、近ごろ私はいろいろな姿を見ても、「きゃー」とならずに「あぁ、これもおにゅさんの中のひとつの顔なんだね」とそのまますんなり受け取るようになってしまった。

今回、次々出てくるビジュアルのパターンの多さに驚いたけど(グリフィンさんがんばりましたね)、どの写真を見てもおにゅさんがおにゅさんとして写っているのが私にはとても印象的だった。そうゆう意図があるのか私が勝手に感じてるだけなのかわからないけど、曲やコンセプトにあわせた様々なヘアメ&衣装のおにゅさんを見ても「何かを装う」ではなく、「おにゅさんの中にあるひとつの側面」として見える。(観念的なことしか書けない…ふがいない私の文章力…うう…)

 

それはいろんな顔をしながら「これも僕だし、これも僕だよ」と自分の持っている側面をおにゅさんが自由に自分の意思で使っているからなのかな?と考えたりするけどどうなんだろう。

実際、今は、自分をどう見せるかというコントロールをおにゅさん自身が行えているだろうと思える安心感は大きい。だから内実との隔たりを感じないのかな。

自分のことを積極的に語ってくれるようになって、こちらの「おにゅさんってこんな人かもしれない」と想像する範囲が広がったり、無理はしてないだろうと思える状況が、おにゅさんの表現をストレートに受け取らせてくれるのかもしれない。

 

ANIMALSのパフォーマンスを見てても、これまで「それは意図してないから」と説明したりしてたセクシーさを表現の中に組み込んで、その効果を自分で選んでいることがわかるから、その柔らかい変化を生んだ野心がかっこいいなと思う。(もちろん私の妄想だからほんとのところはわからないけど!)(まあ、Beautyもセクシーなんだけど、あれはあのストーリーを演じてるからであり、ANIMALSは本能に目覚めた人=おにゅさんに見えるのが違うと思うんだよね)(あ、あと、ANIMALSに限らずだけど、かっこいい自分を躊躇しなくなったのもなんかいいなーと思っている)

「あなたはこうゆう人」と固定化されるのを避けるように「自分の中にある側面のひとつ」を表現力の材料として使いこなしてるかんじがしていい。

 

 

 

型にはまりたくない、飽きっぽい、物事は複雑だ、やりたいことはとりあえずやってみる。次々に行動を起こしてどんどんとやりたい道を進んでいくおにゅさんはとても魅力的だ。先が読めないおにゅさんは楽しい。

 

 

 

今日はこれから『온유와 마에스트로』が出る!すごい楽しみ!

おにゅさんの話を聞くのが本当に好き。声も歌も顔も大好きだけど、もしかすると考え方が一番好きなのかもしれない。アメリカツアーの時のおにゅさんの心境とか聞けるとうれしいなー。PERCENTの話だけかなー。どんな話でもうれしいけど。あ、今、ラジオやってたのか。聴き(見る)逃した。まあ、聴いてもわかんないんだけどね。ラジオで話すおにゅさんの話を理解できるようなるまでもっともっと勉強がんばらないとだ。

 

 

 

Call me poet, artist

 

 

 

昨日は0時を少しあけた後、布団の中でSHINeeの新曲をイヤホンで聴きながら寝た。

新しいSHINeeの曲、歌声を聴けるだけでも幸せで、SHINeeのメンバーの中から聴こえるオニュさんの声はやはり格別で、その上、ジョンくんの声も混じっていて、それを聴きながら眠りにつくなんて、これ以上の幸せがあるだろうか。いやない。こんな贅沢な入眠musicなんてない。(いや、ほんとは、最初に聴いた時は感激で「こんなの寝れないよ!」と思ったのに、繰り返し聴くうちにハーモニーの気持ちよさとSHINeeの歌声の安心感で気がついたら寝ていた、というのが真実なのですが。。。)

 

 

なので、MVは起きてから見た。だからまだ何回も見てないし、何回も聴いてない。これからイヤっていうほど聴いて見て自分の血肉にできる幸せ。(こわい)

ジョンくんから私たちへの手紙、ジョンくんから4人への手紙、4人からジョンくんへの手紙、SHINeeから私たちへの手紙、なんだなあ。

MVを日本語字幕で見たあと、歌詞をpapagoで翻訳してみた。(私はだいたいいつもGenius で調べた歌詞を翻訳サイトにかけている)

MVの日本語歌詞とはけっこう違っていて、こちらの方がジョンくんの書いたニュアンスに近いんじゃないかと勝手に思っている。私は韓国語ができないのに、こちらの方があきらかにジョンくんの色がする、と感じる。まあ、韓国語ができないから翻訳の正確さなども判断できないんだけども...。 (カナダラの部分もこうしてみて ↓ ようやくわかったぐらいなので…)

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ジョンくんが書く歌詞の色っぽさったらないなと思う。どうしてこんなに親密な距離を感じさせる歌詞を書くことができるんだろう。

そして、この曲に限ったことではないけど、言葉の力を信じ、感性のもと生きることを肯定してくれる心強さよ。ジョンくんがこうやって生きたことやその才能が私にはとても眩しい。それを私たちに共有してくれたことに時間差でありがとうって言いたい。

Call me poet, artist からもらえる勇気で私は当分進むことができると思う。

 

 

 

私はシャイニーの音楽もステージもビジュアルもなにもかも好きだけど、一番好きなのはグループが体現している彼らのセンスというか美学だと思う。

(私が彼らを知り好きになってからの)言葉にはしなくてもシャイニーは5人だと感じられた今までの彼らの居方や、おにゅさんがお休みしていた時3人がそのことに触れずにシャイニーをぐんぐんと進めた姿、そして今、5人であることを音で形で言葉で表現すること、どれも彼らの選択がいつも正しく美しく感じられて泣きそうになる。

 

 

17周年おめでとうございます。

シャイニーとして私たちの前に立ち続けてくれて本当にありがとう。

 

 

一昨日投稿したものについて補足すると、「良くなることを彼らに期待するのは酷だ」ということではなく、「期待するということさえ自分の欲と繋がっている、一部なのだということに自覚的でいたい」ということを書いた。だから、シャイニーがこれからまたどこへ進もうとするのかとても楽しみにしているし、私の希望です。終わりがあるとしても。

 

 

結局、昨日の配信は事情があって見れなかった🥲。なのでより新鮮な心でライビュを迎えられる!と思いながらも欲望にも勝てず、TLを薄目超高速でチラ見している(心が揺れちゃうので音は聴かないという謎禁制あり)。

私はライビュというもの自体が初めてなので、声は出してもいいのか、歌ってもいいものなのか、など今から緊張してる...。けど、すごく楽しみだよ。めっちゃ遠足だから急いで準備をしないと。

 

 

私なりの

 

 

ワールドツアーオンドラが終わり、しゃいにーweek がはじまり、今日は ‘SHINee WORLD Ⅶ [E.S.S.A.Y] (Every Stage Shines Around You)’の幕が上がるー。日本にいる私は副題の「Every Stage Shines Around You」を願掛けのように唱えながら(もちろんいろんな意味があるでしょうけど😌)3日間をすごすつもり!

 

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最近ずっと考えていることがある。まだ考えがまとまってないのに書こうとするからなんだかよくわからない中途半端な文章になる気がするけど、新しいシャイニーのステージが目の前に現れる前に少し書いておきたい。なので読むには困難文かもしれません...。でも自分を牽制するためにも今書いておきたいのです。誰かに何かを言いたいためのものでもなく。

 

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てむちゃんアンコン東京公演のあと、流れてきたたくさんの感想の中にきっかけのポストがあった。

この方は感想を複数ポストされていて(文末にもリンクとスクショを貼らせてもらいました)、その内容に共感したファンの人も多かったと思う。静かな語り口の中にてむちゃんやシャイニーへの愛情と温かさを感じてとても素敵だなあと思った。あと知性!

その中で私は以下のピンクマーカーひいた部分を読んで、「自分の中にずっとありはして気にはなっていたけど深く考えてこなかったこと」にしっかりフォーカスがあたった。

 

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https://x.com/emilyandtommy/status/1908862293401825730

https://x.com/emilyandtommy/status/1909243918933536853

 

 

なんかいつ見てもおにゅさんは、シャイニーは、最高を更新し続けているように見える。アメリカツアーでのおにゅさんの姿や、連日配信されてた過去のシャイニーのステージを見るとその思いは更に強くなる。

 

私はおにゅさんやシャイニーのことをすぐ「すごい」と言ってしまう。すごいからすごいと言って何が悪い、とも思うけど、ちょっと言いすぎだよなあとも思っていた。「好き」だからすぐ「すごい」と思ってしまうのか、言い表す言葉を見つけることができないから「すごい」を使ってしまうのか、「すごい」が何かを褒めたり肯定する時に伝わりやすい言葉として便利だから使ってしまうのかわからないんだけど、、、(わからんのんかい!)、乱用していた。している。彼らを神格化したくないなと思っているのにもかかわらず。そして同時に「私、すぐに「すごい」って言っちゃうな...。けど、でも、別にすごくなくたっていいんだよな…」とも思っていた。

 

要は、私はエミリーさんのこのポストによって、自分が無意識におにゅさんやシャイニーに「良くなることを期待していた」ことに気がついたということだ。(エミリーさんは彼らのこれからのことについて大きな視点で書かれているけど)

彼らの進化というか、私たちの心を掴んで離さないパフォーマンスや生き方は、空から降ってきたものではなく彼ら自身の選択と弛まぬ努力があってこそのことなんだけど、ファン(私)は無意識ぐらいの軽さで「次も想像を超える何かを見せてくれるだろう」という信頼という名の期待を持つ。

 

いろんなものを「良くなっていく前提」で見て聴いている気がする。それは彼らの今までの功績でもあるし、アーティスト側からすればそれはもしかしたらモチベーションにもなったり良いプレッシャーでもあるのかもしれない。

でも、一方で「良いステージを見せてほしい」「上手く歌ってほしい」「かっこいい姿を見せてほしい」という期待が過剰になるとそれは「自分の好きを持続させたいファンのエゴ」になるよね。私、とてもしてたと思う。そしてその期待を上回ってほしいって望んでた。そうするともっと好きになることができるから。

いつも彼らには好きに生きてほしいし、自由にやりたいことをやってほしいと思っているはずなのに、やることの出来や結果についてはそれらで満足させてほしいと求めている自分がいることに気がついて驚いたよ。言ってることとやってることが違う!

 

 

ファンがアイドルに「欲しがる」のは別に珍しいことではないだろうし、悪いことでもないのかもしれない。ビジネス構造としての「需要と供給だ」と言えばそれまでだし。けど、懸命に生きる姿でたくさんのものをくれる彼らを、私はせめて自分のできる精一杯で尊重したい。与えられるものを一方的に受取る立場でこんなことを言うのはおかしいかもしれないけど、できるだけお互いがフラットなところに立って向かいあってるみたいな関係でいられるといいなと思う。守る、評価する、支える、心配する、という主従のような言葉から抜け出たところにいたい。

かっこよくて優しくてあたたかくて上手くて誠実でかわいい彼らが大好きだけど、そうじゃなくてもいい。だらしなかったり下手だったりかっこわるくてもいい。失望することもあるかもしれない。でもそれは彼らの人生やその一部なのだから私が何かを言うことではない。私がジャッジできることはない。

もちろんこれからも「すごい」と思ったものは「すごい」って言うし、好きな気持ちは憚ることなく表明していくと思うけど☺️、自分の思考が無意識に彼らを縛るようなものになっていないか自覚的でいたい。

 

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開演少し前から書き始めたのに日付が変わっちゃった。ほんと文章を書くのに時間がかかる。みんながコンサートを満喫してる時間にうんうんと唸りながらブログ書いてて「私何してんだろ?」とも思ったけど😆、でも、これからの自分の下敷きにしていきたいから新しいステージを見る前に書きたかった。これが私なりの彼らへの誠意だ。

わー、やっと書けたからファンカムやレポ見ちゃおうかなー。やっぱり配信まで我慢しようかなー。でも耐えられるかなー。できないだろうなー。今日はここまでー。

 

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<エミリーさんのその他のてむこん感想ポスト>

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https://x.com/emilyandtommy/status/1908857893010706608

https://x.com/emilyandtommy/status/1908857895342764200

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https://x.com/emilyandtommy/status/1909053482616889483

https://x.com/emilyandtommy/status/1909053487339671963

https://x.com/emilyandtommy/status/1909053490015715393

何回読んでも感動するポストたち。

ふわふわとすごさ

 

 

なんだか久しぶりに心が軽い。おにゅさんに握手してもらったし、確定申告も終わったし、ちょっとづつ暖かくなってきてるし、さっき新ごぼうも食べたからかな。もう春ですか?だいぶ春ですね。

やっぱりおにゅさんはファンに夢を見させてくれる超アイドルだった、という記録です。ぽーっ。

( 実際のおにゅさんとのやり取り部分 1:9 私のおたく語り なのでお気をつけください。まあ、いつものことか)

 

 

2025/03/09   おにゅさん握手会   五反田TOC
15:45  受付開始
16:15  握手会スタート予定

 

以前幸運にも当選したサイン会で「握手してください」と頼んで「いや、あの、ちょっと…」とおにゅさんを困惑させてしまった過去があるので( 参照:自分をもてあましたはなし ③ - だいたいのもの  )、今回は正々堂々とおにゅさんと握手ができる!すごいうれしい!

1日目のレポによると「持ち時間2,3秒」「剥がしの人がいる」らしく身が引き締まる。前のサイン会では接触イベント初めてだったこともあり終わったあと自分のアホ!と泣いたし(比喩)、こんな機会は最後だろうから後悔しないように、と簡潔かつ最大の気持ち「大好き!」を言うことだけ決めて五反田へ。駅でロッカーにコート&荷物をぶち込んで(気が散らないよう)(握手に集中できるよう)(妙なこだわり)TOCへ向かう。風が吹いてたから道すがら寒かったよね...。

 

わーっとTOCに着いて、わーっと受付して、わーっと並ぶ。

並んでから始まるまでたぶん30分ぐらい待ったと思うけど、大きい会議室みたいな場所で400人がどきどきしながらおにゅさんとの握手を待っている光景、圧巻だった。

待っている間、「でも3秒あるならもう一言ぐらい言えるかも」とチャレンジ&欲深に感謝の気持ちも伝えようと決める。

一旦始まってしまえば列はすごい勢いで進んでいきそのスピードに慄く。進む列の中でブツブツと言うことを練習しながら先達の「ガヤガヤしてるから大きい声で!」というアドバイスを思いだす。レポやアドバイスツイッターに流してくれた先達たちに感謝します。

 

そしてパーテーションで仕切られた”本番ゾーン”へ入る。係の人に促されるまま数歩移動したら、歓声をあげながら肩を抱かれて剥がされてる人が見えた。

「あ、あそこにおにゅさんがいるってことなのか!」

「これが剥がしというものか!」

「私の数秒後の未来!」

となんとなく流れを把握。

3m先右手のパーテションのむこうにおにゅさんがいるらしい。もうゴール目前であることに一気にわくわく嬉しくなって飛び跳ねそうだった。てかたぶん実際にちょっとぴょんぴょんしちゃってたと思う。人前で小躍りしてもいいのは子どもだけじゃないのか?

前の前の人(たぶん)の番になりパーテーションの横に立っているおにゅさんがちらっと見え「うわあああ おにゅさんだ!おにゅさんがいる!」と緊張より喜びのテンションが上回る。

目が線になり目尻が下がった優しさ全開のあの笑顔をしたおにゅさんがそこにいた!

f:id:pnrihk:20250316024803j:image ← 備忘:当日のおにゅさんはこんな服装と髪型でした

f:id:pnrihk:20250316022155j:image ← 参照:前の人たちとこうゆう笑顔で接していたおにゅさん


そこからの記憶は朦朧。どうやっておにゅさんの前まで進んでどうやって手を握ったかは覚えてないけど、目の前にいるおにゅさんはやっぱりきらきらしていてかっこよくて眩しかった。ファンデーションを塗っている肌の質感に、わ!実在の人間だ!と気を持っていかれそうになる。

でもダメダメ!2,3秒の間に伝えたいことも言うにはこの握手会のリズムとテンポとテンションに合わせなくてはならない!

にこにこ笑顔でちょっと身を傾けて話を聞いてくれようとしている(私が背が低いので)おにゅさんにむかって、私は前の人たちからの流れを踏襲した(つもり)テンションと笑顔で「いつも力をくれてありがとう!!」と言った。言えた。よかった。

すると、おにゅさんは笑顔からすっと真面目な顔になり、というか「んー」みたいな瞬間があった後、落ち着いたトーンで「ありがとうございます」と言ってくれた。

私はリズミカルな言葉を2、3言かわしつつレーンを流れ去っていくものだと想像してたから、予想外のテンポとトーンで応えてくれたことに驚き、「なんかいきなりあらたまったかんじだけど????」「でもよくいい話を聞いて感動しましたってファンに言ってくれてる時の表情みたい????」「あれ、そんな時間ある????」「あ、いや、そりゃ、嬉しいと思ってくれてるならめちゃ嬉しいけど⁇⁇」などが頭を駆け巡ってる間に剥がしの人の両手が私の肩にソフトにタッチ。出口側に優しく押し出されながら 「大好きです!」と元気に告白。おにゅさんはまた最初のにこにこ100点スマイルに戻って「ありがとう!」と言ってくれ、私の握手会Fin。

 

部屋を出たら既にさっきの出来事が夢みたいに思えたけど、手にはふんわりひんやりした感触が残ってたから握手したんでしょう。てか、あんな優しい握手ある?私したことない!あんなふんわりした握手!握ってないみたいだった!とひとりでむふむふしながら帰った。

あまりにかっこいいし優しいし言いたいことは言えたし念願の握手もできてうれしくて、同じエレベーターに乗った人に勢いで話しかけそうになっちゃったけど、記憶定着作業をしなくては、と思いとどまる。

 

 

その夜、友だちに「おにゅさんがね、こっちをしっかり見て『ありがとうございます』って言ってくれたんだよ!その一瞬、時が止まったみたいだった!世界が静寂に包まれたんだよ一瞬!あんなに周囲がザワザワしてたのに!すごくない????」と興奮して報告したら、「おにゅさんは握手だけでも400人ものファンを相手にしてるのに、その場の流れや惰性で接することなく、あんたの言ってることをしっかり聞いて反応してくれたんだね。そしてあんたみたいにみんなを「私の話を聞いてくれた!」と幸せにしてるんだよ。ほんと誠実な人だね。よかったね。」と私をクールダウンさせてくれた。

でも、あの秒単位の時間を、よく映画とかで見る「周りの時間は止まり(もちろん周囲はモノクロ)、自分の運命だけがスローモーションで展開(そこは総天然色)」みたいなスペシャルなものにしてくれるってすごくない!?すごいよね!!

そして、17年目プロアイドルスキルとともに、あんな大人数対象のイベントでも、どんなファンに対しても、接する時は「ひとり対ひとり」で向き合ってくれる真心のこもった対応と真摯な態度に、「おにゅさんは本当にすごい人なんだなあ」と改めて思わされた。言ってくれた「ありがとうございます」は本当に真っ直ぐ私に届いたもん。(まずこんな人数相手にしようという気概からしてすごい。いろんな事情があるとはいえ)

 

 

今でもあの雑居ビルみたいな古ぼけたグレーな空間で、おにゅさんがいるところだけ白くぼんやり光ってた光景を思い出す。周りとの不釣り合いなこのかんじ。すごく印象的。

握手してくれた手も着てるニットもおにゅさんを囲む空気もふっわふわで、優しさの概念が発光して立ってるみたいだった。空間も時間も特別にしてしまう人。忙しい中イベントをしてくれてありがとう。

 

 

最後に、たぶんおにゅさんの目には入らなかっただろうけど、初めて名札作ったにしてはかわいくできたと思うから見てほしい。ほんとこのカードかわいくて大好き。セブンのコピー機で何枚もカラーコピーして楽しかった。

f:id:pnrihk:20250316022214j:image ← かわいい:記憶定着作業のために入った五反田駅前のドトールにて

 

これでもう思い残すことはないな!どうだろ?

 

 

ONEW THE LIVE というタイトル

 

 

 

𝟐𝟎𝟐𝟓 𝑶𝑵𝑬𝑾 𝑪𝑶𝑵𝑪𝑬𝑹𝑻 
[𝑶𝑵𝑬𝑾 𝑻𝑯𝑬 𝑳𝑰𝑽𝑬 : 𝑪𝑶𝑵𝑵𝑬𝑪𝑻𝑰𝑶𝑵] 
𝑰𝑵 𝑱𝑨𝑷𝑨𝑵 ════ ⋆★⋆

最高でしたね。おにゅさんみなさんありがとう。

今週、生活が極忙(そんな言葉はない)につき全然余韻に浸れずにいたらもう今日はソウル公演!おにゅさんがんばってください!もう私には横浜のあの時間がはるか昔のことのように思えるよ…。かなしい…。

 

 

今回、やっぱりコンサートって作品なんだな、と思いながら見ていた。ファンミ、ファンコンがファンとの交流をメインとしたイベントだとしたら、コンサートはおにゅさんが作った表現作品で、スクリーンにかけ声の歌詞を出すというサービスがなかったのも見せるものとしての完成度を追求するならそりゃそうしますよねと思ったし、ラストでおにゅさんが曲終わりまでステージに残らず、先にはけてから演奏で締めるという構成も音楽作品として完結させる素敵な見せ方でとても好きだった。

 

 

 

私がいちばん最初に [ 𝑶𝑵𝑬𝑾 𝑻𝑯𝑬 𝑳𝑰𝑽𝑬 : 𝑪𝑶𝑵𝑵𝑬𝑪𝑻𝑰𝑶𝑵 ] というコンサートタイトルを目にした時、”LIVE” という単語が ”生きる” ”人生” の意味合いで頭に浮かんだんだけど、その後おにゅさんが ”自分の声で歌いたい” と言っているを読んで「あーそっちのLIVE なんだね」と思ったりしていた。

そして2日目に、メインとセンターを行ったり来たりしながら楽しそうに歌うおにゅさんを見てたら、LGO代々木のインタビューで「ライブという単語をきれいに飾ろうと思います」と語ってたおにゅさんの言葉と、その時に書いた自分のブログのことが同時に思い出されてきて、なんかもう、目の前のおにゅさんを見てるのか、大きな時間の流れを見てるのか、よくわからん気分になった。

 

今回、息つぎしにくい曲とかタイミング的に歌うのが難しいところとか喉の調子だったりして?、ところどころおにゅさんが「歌わない」選択をしてたけど、そうした後もおにゅさんは勢いもテンションも落とさず楽しそうに集中して歌い続けてて、なんかすごくよかった。そんな姿に「今のおにゅさんが好きだあ🥹」とじわ~っと幸せが心に広がっていく。

 

 

↓ は Life goes on 時に、コンサートをセル商品にする際いろんな補正が入ることを知らなった私がそのことに驚いておにゅさんへの愛をぶちまけるというものなのですが…、

この時は歌わなかった部分などは差し替えられ、でこぼこは整地された上で商品になっていた。

そこにおにゅさんの希望が入っていたのかどうかはわからないけど、少なくとも会社はその方が「美しい」と判断しての加工だったんだろう。

でも、今回のステージでは、歌ってない「空白」が「修正すべきもの」ではなく、「完璧でなくとも歌い続ける」今のおにゅさんを伝える箇所になっていたと思う。ちょっと顔をしかめたり、あれ?っていう表情になったり、えへって照れ笑いしつつ歌わない部分があっても、そこを含めてすべてが今のおにゅさんだ、という肯定されるエネルギーがステージにも客席にも満ちていた。それらが会場全体に柔らかく明るくて前向きな幸せを生んでいたと思う。

 

 

 

LGO代々木のインダビューではおにゅさんはこう話してた。

2時間半の公演の間 その一瞬一瞬が人生を生き抜く感じ

幸せな時もあるし、言っていいのかな 悲しい時もあるし 思い通りにならない時もある

思ったよりできた時や思いのほかイマイチな時もあります

過去であり未来であり現在なのかなと

ライブという単語をきれいに飾ろうと そう思っています

僕の人生を詰め込んだライブで 皆さんに 少しでもいい影響を与えたい

 

 

そして、今回終わった後のリリース記事には

「CONNECTION」は4つのセクションで構成され、オンユの過去、現在、未来をすべて見ることができた。オンユがこれまでリリースしたソロアルバムの叙事を一つにまとめ、深い感動と余韻を残した。
オンユは未完成の「自分」に対する考察を始め、忘れていた日常の幸せを再確認した。

とあった。初ソロツアーの時からおにゅさんにとってコンサートをすることは ”生きる” ことで ”人生” が表現される場なんだね。

考える「美しさ」が変わっていっても、その美しさは形式的なものじゃなくて、おにゅさん自身がその時追求しているものやことだと思うから、これからもおにゅさんがなにを表現していこうとするのか見せてほしい。ずっと見ていたい。

おにゅさんたちが「ONEW THE LIVE 」というブランド、と呼んでた気がするから、これからも継続発展していくのかな。おにゅ&グリフィンさんのことだから、また想像以上のものを作り出していくのかも。わくわく。

 

 

今週末はバタバタであんまりスマホ開ける余裕がないだろうし日曜の配信も見れないから(見たいのに!)、来週ゆっくり、どんなソウル公演になったのか追いかけるのを楽しみにがんばろ。

毎ステージ毎ステージ、その時が一番最高のステージになりますように!