おたくの話ではないです。
先日、同僚が亡くなった。長い闘病の末、最期はご家族に見守られながら静かに息を引き取ったと知人から聞いた。
私と彼女とのつきあいはこの組織に入った時からなので20年ぐらい。改めて年数を数えるとびっくりする。
私と同じ歳かひとつ年下だった彼女は(覚えてなくてごめん。私はだいたい人の歳とか誕生日が覚えられない)私より2年先に入った先輩で、歌が上手くておもしろくて優しくてちょっと変わっている美人だったからすぐに認識した。(私は人の顔や名前も覚えられない)もちろん仕事も良くできる人だったし。
先輩だからいろんなことを教えてくれたけど、私たちの職場は年次かかわらずフラットなやり取りが推奨されるようなところでもあったので、あまり時間がかかることなく友だちのような関係になった。甘え上手な人で私にもよく甘えてきたけど、同時に困っている人を放っておけない性格の人でもあったので、よくご飯を食べさせてもらった。私が適当なものしか食べてないのを見て、お弁当を作ってくれたりもした。料理も上手くて何を作ってもセンスが良くて美味しかった。
とても気遣いをする人で、度が過ぎてちょっと独特な表現になったりするところが彼女のチャーミングさを際立たせていた。少し枠からはみ出てしまうようなところも彼女の魅力であり、彼女不在の場でもよく話題に上がった。とても愛されてた。でも、本人はそういったことで苦労もしてきたようで、誤解されることも多かったからか落ち込んでる姿も幾度となく見てきた。正直で素直な人だった。
なぜか彼女の人生の節目節目で一緒に仕事をすることが多かったので、いろんなポイントでの選択を間近に見てきた。一番思い出深いのは、彼女の海外での挙式&新婚旅行に仕事上数日間帯同した時のこと。その中で、両家がお酒を飲みすぎて大変なことになっちゃったイベントの一部始終を、嘆きながら笑いながら話してくれたことがあった。ホテルの部屋の窓際に座る彼女の、逆光に浮かぶシルエットの美しさと、幸せと楽しさと少しの悲しさが入り混ったような複雑な表情をよく覚えている。
また、自分で決めたことは周りが反対してもやり切る強い人だった。一つ一つの選択に彼女のアイデンティティが詰め込まれていて、どんなことでも最終的にはみんなが応援していた。
彼女が病気になってからは一緒の仕事をすることがなく、直接会う機会が少なくなった。それでも会って体調の話をした時はそれまでとそんなに変わりないように見えたし、適した治療法に出会えたとも言っていたから良くなっていくんだろうと勝手に思っていた。それが2年ぐらい前の話。
それから少しして、治療のために引っ越すらしいと別の同僚から聞いた時には、もう多くの人がそのことを知っている状況だった。本当はそこで彼女に連絡がしたかった。何ができるわけではないけど、あなたの身体のことを願っていると伝えたかった。けど、多くの友人を持つ彼女の元にはそういった連絡がいくつもいっているだろうなと想像し、そして普段用事がなければそんなに頻繁に連絡をとりあう仲ではないのに、病気のことを知った途端「心配してるよ」と連絡することは私のただのエゴではないかと思えてできなかった。
あと、今考えてみると、連絡をして自ずと心配する人と心配される人、という関係を生むのも怖かったんだと思う。病人としての振る舞いを求めることになる気がした。そして、相手の好意を大切にする人だから必要以上にその役割を演じちゃいそうで、そうさせるのもいやだった。
それから、少しづつ少しづつ進んで行く病状のことを周りの人から聞くたび、何度もLINEをしようかと悩んだ。けど、何かを伝える方が彼女にとって負担になるような気がしたし、余命という言葉を聞いてからはその迷いもなくなった。残る時間に限りがあるなら、優先されるべき人やものや事がいっぱいあるだろうから。だから結局私は連絡をしなかった。
でも、ここまでいろんな理由を並べてきたけど、それは私に受け止める勇気がなかったということだけなのかもしれない。覚悟がなかったんだ。
そして、やっぱりいなくなってしまった。本人の希望で式もしないとのこと。
もう会えない。
病気の辛さや怖さを分かち合うことはできなかったけど、そういったやり取りをしなかった私はこれからもずっと楽しいことを思いだそう。それなら自分にもできる。普段ならすぐに忘れちゃうことだって、あなたのことを考えてると記憶が蘇ってくるから不思議。ほんと、楽しかったこといっぱいあるもんね。話は尽きないよ。
弔いっていう言葉もまだピンとこないけど、何もせずにはいられず、ここに彼女のことを書いてみた。少しの間、置いておこうと思う。






← 備忘:当日のおにゅさんはこんな服装と髪型でした
← 参照:前の人たちとこうゆう笑顔で接していたおにゅさん
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