淡々としすぎかな…

 

MY SHINee WORLD を見た。

見る前はどうゆう気持ちで見ればいいんだろ?と少し不安になったりもしたけど(あまりにも「泣く」っていう感想が流れてくるので…)、今までのいろいろなステージを楽しく見た。ステージの上の彼らとそこにいたファンたちの15年間は幸せそうだったり悲しそうだったり楽しそうだったりしてそれらは美しかった。

私がシャイニーを知ったのは3年前なので自分の人生と重なっている部分は少ない。思い出したり振り返ったりすることがあまりないから冷静に見れるんだろなと思う。

あと、自分が共有していない部分の時間や映ってないものをあまり想像したり消費したくなかったから、見たものをそのまま受け取ろうと思った。彼らの心は彼らのものだから私のものにしないようにしたかった。何回か胸が苦しくなる時があったけどその時はそれまで以上に彼らをしっかりと見た。

彼らと同じ時間をすごしてきた人たちは蘇ってくるものや思い入れなどで心が大きく揺さぶられるだろうなと思ったけど、それを作為的に盛り上げるような過度な演出がなかったのも良いと思ったし、語らなくてもシャイニーとファンが共有しているものを尊重している構成が優しいと思った。

3人が落ち着いて穏やかに話してるところも好きだった。「そんなことがあったんだね」「そんなことを考えてたんだね」と思った。

どこかでファン目線の映画だと読んだ気がするけど(記憶違い?)、私はシャイニーにとってのファン映画じゃない?と感じた。

明確なファンへのメッセージとしてではなく(感謝とかお礼とか)、3人だけの会話の中にファンへの思いが出てくるのを見ているとより本音のように聞こえてきて(そうゆう風に見せているからだけど)、「シャイニーといつも一緒にいたファン」を彼らがあらためて実感しているように見えた。

実際映画ではファンとして顔が見えるのは部屋の持ち主だけで会場にいるファンの顔はほとんど映ってなかったように思う。ファンは会場を埋めるペンライトの灯りやかけ声や歌声として登場していたけどそれはひとりひとりの個人ではなく「SHINee World」という集合体として映っていて、私はその見せ方も好きだった(私は自分が何十万人?といるだろうファンの1人にすぎないってことを実感するのが好きなので……)。あの部屋の持ち主のようなファンが全世界にいて、その一人一人にとってシャイニーは人生や生活の支えになっているけど、シャイニーにとってもファンの存在はまたそうなんだということがしみじみ伝わってくるようだった。

今まで映画タイトルについて深く考えたことはなかったけど、ずっと「そばにいるっていうより持ってるってかんじがするのはなんでかな?」と思いながら見てたから、「My」が「SHINeeの」だと思うと私にはしっくりくる(私たちの、なら正確にはOurなんだけどね…)。そして所有格で自分(自分たち)のことを指されてもなぜかイヤな気がしない。「The SHINee always had SHINee world」を見せてくれた映画だったなというのが今の私の大きい感想だ。(英語あってんのかな…)

パンフレットとか他の人の感想とか読まずに見たから、これからそうゆうものを読んだりするとまた違った感触になるのかな?そしたらまた見直したくなるのかも。