2023/09/30 さいたまで

 

1週間ほど前に風邪をひき、コロナかインフルだったらどうしようとオロオロしながら検査を受け、陰性の結果に胸をなでおろし体調もなんとか復活して、ぎりぎりの満身創痍😊という状態で待ちに待った初めてのシャイニーライブに行った!

ホールの入口にむかってぞろぞろと進む人の波の中を歩きながら「あーこんなにいっぱいの人がシャイニーを好きなんだな。(周りを見渡しながら)こんなに人がいるんだからそれぞれの考え方や抱く感想もバラエティに富んでるだろうな」みたいなことを考えていた。

若い人から年配の人、派手な人や地味な人、思ったより男の人も多かったし、なんだかとてもうれしい気持ちだった。こんなさまざなタイプの人たちから好かれているシャイニーがかっこいいと思ったし、自分もこの大衆のうちの1人なんだ、ということが実感ができてとても良かった。目で見るってほんとにすごい。

そして、私がいつも旧ツイッターで見ている光景はこの中のほんの一握りなんだろうな、とも思った。スマホの中の出来事ややり取りに頭と心を囚われてしまうことが多いけど、目の前に広がる客席を目にするとその事実がすとんと胸に落ちてきて何も始まってないのになんかスッキリした気分になった。

 

 

ライブ自体の感想はここにひとつひとつ書くと大変なので…ライブ帰りの電車でメモったものを下に貼っとこう。(自分用の備忘録メモなので言葉足らずで意味わかんないとこもあると思うけど…)

大きな感想としては「生身の3人はとてもあたたかくてかっこよくて親しみ深い人たちだったなぁ」だ。おにゅさんのソロコンの時と同じようにパフォーマンスの感想よりその人たちに対しての想いの方が上まわるのが不思議で(決してパフォーマンスに満足してないわけじゃなく、パフォーマンスも120%楽しんだのにも関わらず)、これがアイドルを応援するってことなのかなぁ、と考えたりしてる。

ソウルコンでは3人でシャイニーをやることへの緊張やプレッシャーの中で挑むようにパフォーマンスしてる姿が印象に強く残ってるけど、今回は3人のステージへの自信とシャイニーとしゃおるの関係性が相まって、比較的リラックスした雰囲気のライブになったんじゃないのかなと思った。

好きゆえに私はシャイニーをすぐ神格化しちゃいそうになるけど、目の前の3人は思ったよりも小さくて、もちろんアイドルの天才たちなんだけど、その小ささは私たちと同じで、だから完璧な時ばかりではないだろうしミスをすることもある(実際てむちゃんいっぱい間違えたと言っていた)私たちとそんなに大きく変わらない人たちなんだよな、と実物の大きさを実感したことによって自分の盲信具合をリセットしたというか。なんかへんてこな話だけど。彼らを変にまつりあげることなく、もっと肩の力を抜いてシャイニーを応援してくことが私には必要だなあと思った。

 

 

ライブ終わってから仕事がずっと忙しくて旧ツイッター開く時間がなかったのだけど、なんか波に乗り遅れた感もあり、結局そのまま開かないでいる。

他の人がどんな感想をもったのか興味あるし、自分が気づいてないこともいっぱいあるだろうからそれも知りたいし、2日目のことも気になるから開けてみるかと思ったりしたけど、まあ、今はひとまず自分で見て聴いて感じたものだけあればいいかなとそのままにしてる。終わった後ゆっくり話せないまま別れた友だちと近々オンライン打ち上げをやる予定だから、あの楽しかった時間をその時にもう一度噛みしめることにしよ。(ドームへの作戦も練らなくては)

 

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でも、ライブを「圧倒!」「熱狂!」より「ほっこり」と私が感じたこと、もしかしておにゅさんがいないからっていうのもあるのでは?とここまできて思い至った。あわわ。どうなんだろな。わかんない。

2023/08/20

 

昨日リストリーミングを見ながら「このソウルコンがもうすぐ見れるのか!1回しか行けないけど(もっと行きたいけど!怒!)すごい楽しみだな〜」と思ったり、「ここから2か月たったんだ」と変わらないものとか変わったものとか慣れたもののことについて考えたりした。

 

 

相変わらずHARDをよく聴き、次々にあげてくれるコンテンツを見て、あぁシャイニーが好きだなあと思いながら日々をすごしてる。そして、おにゅさんのんびりすごしてるといいなあ、といつも思っている。

 

 

それと、ここに至った思考の経過を説明せずにこう書くと意味わかんないけど、アイドルを好きになることの暴力性や今までの己の推し方のグロテスクさについて向き合ったり反省したりこれからどうしていけばいいのかを考えてる。ずっと考えてる。立ちどまる機会があってよかった。1年前とのテンションの差にぼんやりしたりもするけど、今年の夏はこんなかんじです。

 

2023/07/05

 

少し前から自分へむけての言葉なのかなと思って読むことが多くなった。ただ言葉をくれたことに対してありがとうと思えばいいのに、胸がきゅっとしたことの方に気を取られてしまう。やっぱり私は暗いのかしら。そうなんだろうね。あんまりいろいろ想像しないようにと思ってるのにな。その想像さえも偏りがちだし。どんな気持ちで送ってくれてるんだろうな。おにゅさんの優しさはいつもうれしくてありがたいんだよ。

 

 

恋しさを伝える言葉も待ってるよという言葉も負担になるような気がしていまだに言えないし、そもそもバブルでメッセージを送ることはほとんどないんだけど、なんだかちょっとぐらい明るくなるようなことがしたくて

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スタンプを送ってみたりしている。(かわいいスタンプをひとつだけ送る私、そこはかとなく怖いね…)

なんの慰みにもならないだろうけどこれが今の私にできることみたい。(こんなことぐらいしかできることがないことにしょんぼりするけど)

 

 

 

なんとか続いている筋トレは 10X 〜 Sweet Misery の間が一番やりやすい。BPMがあってんのかな。

 

保留中

 

少しでも考えがまとまれば書いてみようかと思っていたけど、いっこうに書けるようにならない。

思うことはいろいろあるけど、ひとつのことを思うとすぐにそれを打ち消す別の思いがわいてくる。

 

 

ペンミで過去やファンを慈しむように微笑みながらシャイニーの曲を歌っている姿をTLで見て、これらが希望になっているといいなと思ったり、送られてくる料理の写真を見ると必死に回復しようとしてる姿が思い浮かんだりしながら、少しでも心穏やかにすごせていますようにと祈っている。

 

 

3人の姿を見るとそれを見るおにゅさんの心境を想像してしまうけど、わかるわけはないからとにかくあまり心痛めてなければいいなと願う。もちろん不在が寂しくないわけないけどそれを私が口に出してもなんともならないと思ってしまう。

 

 

何も肩代わりできることなんてないし、今までのことを考えれば考えるほど自己嫌悪にも陥るし、それをどう考えればいいか整理ができないし、虚しいし、虚しいとか言うのがそもそも傲慢なんだよな、とか、とにかくずっとぐるぐるしてしまう。つらい、と思うたびに、私が思うことじゃない!というつっこみもなかなか終わりにならない。

たぶん自分を見つめているだろう今の彼のことをいろいろ推測するのは失礼な気がして、私は公式から出てくる彼の仕事をただ受け取ろうと思っている。その他のことにあまり想像力を働かせずに。これからいろんなものを見たらまた気持ちは変わっていくのかもしれないけど。

 

 

そんなこんなだから、結局、落ち着いて生活なんてできてないけど、筋トレを始めました。筋トレは生活じゃないか…。

 

今日の私の思うこと

 

どうか幸せで元気でいてください、と言われたのでそうしなきゃいけない。

自分の気を逸らすためにも日々ちゃんと生活しようと思う。生活でごまかせるなら一石二鳥だ☺️

いろんな考えがわいてくるけど思いを馳せたり深く考えるの今はやめとこうと思う。胸がつぶれそうになるから。自分を守るために。私は自分に甘い。

待ってることが彼の希望になるなら待ってるよと伝えたいけど、それを気にしないでほしいとも思うから言えないでいる。

とにかく何も考えず自分を閉じてなるべく楽な毎日をすごしてほしいと願ってる。

 

 

それでも忘れてしまうから

 

 

なんかぽろぽろと思い出すので忘れないようにその都度ツイートしてたら、ほんと記憶の断片の集まりみたいになった。

 

 

2日目はアリーナ後方サイドよりの座席だった。どうやらスピーカーが真正面にあったようで、1日目より大音量&ダイレクトに音を浴びれて純粋にライブを楽しんだ!ずっと一緒に歌ってた。最高だった!

 

 

去年の夏のような寂しさはなくて、楽しかった余韻と、今後への期待しかないってほんと幸せだなあ。幸せですね。

おにゅさん、みっちみちのカムバスケジュールの中、日本でコンサートをやってくれて本当にありがとう。

 

 

 

 

いっぱい書いたなあ。

いろいろと感じることの多い2日間だった。

とても楽しかったけどこの感触は忘れてしまうんだろうなあ。

私的には一番目のツイートがハイライト。

 

 

 

上書きしてしまう前に(それさえも幸せなんだけど)

 

 

(すぐに忘れちゃうから。忘れちゃうとさみしいから。)

 

 

ソウルでのライブにはあと10年ぐらいは行けないと思っているので、そのソウルコンを日本で見せてもらえるなんて夢みたいだなーと行く前からずっと思っていた。

 

 

昨日はアリーナAブロックの座席で、友だちに「生涯でこんなに近くでおにゅさんを見れることなんてもうないと思う!」と何回も言ってうざがられた。

と言ってもサイドよりの席だったから毛穴まで見える、とかいう距離ではなかったけど、視力の悪い私にも、おにゅさんが指でハートを作ったのがわかるくらいの距離にはいた。

 

 

歌っている姿を横からずっと見ていて、「いつものおにゅさんがそこにいるな」と思っていた。

近くで姿を見ることのできた感激より、気負いのない等身大のおにゅさんを感じることができて安堵したような気持ちになっていた。

おにゅさんはステージの上でライトの中にいるんだけど、いつもの印象と変わらなくて、歌を大事にしていて、柔らかくて、かっこよくて、優しくて、かわいらしくて、みんなに愛されていた。

 

 

モニターをほとんど見なかったから(表情はあまりわからなかったけど、肉眼で捉えられる姿を見ていたかった)、ファンに向けられたパフォーマンスを受け取る、というより、おにゅさんがファンにむかって歌ったり、語りかけたりする姿を、横や後ろから傍観者のように見ている感覚だった。

おにゅさんは生きていて(あたりまえ…)、そこにいて、歌って踊ってファンと会話して、それを幸せだと感じてる姿を自分の眼で見て実感することができた。

本当に幸せだったー。

 

 

 

会場暗めの中センターステージ上のおにゅさんがピンスポで浮かび上がって、そのおにゅさんに会場全体がそれまで以上に集中した空気感の中、自分の世界をがっちり見せていたおにゅさん凄かったなぁ。そのおにゅさんの後ろ姿と、おにゅさん越しに見た無数のライトが光るスタンドの美しい光景は忘れないと思う。